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牛尾地区の鎮守・白幡神社(下郷集落)、潮神社(上郷集落)の祭礼は、毎年十一月十五日直前の日曜日に行われ、当日両社の氏子によって、藁で作られた大蛇が奉納されます。これを、「牛尾の蛇祭り」と呼んでいます。祭礼の前日には、両社の氏子がそれぞれの当番の家に集まり、稲藁で長さ約八メートル、八頭の大蛇を作り、尾に「天下泰平」「五穀豊穣」と書いた剣を付け、その日は当番家の座敷に飾っておきます。祭り当日朝、当番の家に集まった十数人の若者たちは、酒肴がふるまわれた後、座敷の大蛇を担ぎ出し、道中前後左右に荒れ回りながら神社に向かいます。氏子中の童子が扮する素戔嗚尊の荒型、稲田姫の女形を先頭に立て、囃子方がその後に続きます。境内で一もみした後、大蛇は鳥居に巻きつけられ、しめ縄として来年まで地域を災いから守ります。牛尾の蛇祭りは、江戸時代から続く祭礼で、かつては陰暦霜月十五日に行われていました。これは、村人たちが秋の収穫を感謝し併せて五穀の豊作、そして無病息災を祈願する素朴な神事であり、八岐大蛇伝説をなぞった伝統行事です。多古町教育委員会《白幡神社案内板》
牛尾の蛇まつり 当日次第
◎郷社白幡神社例大祭(蛇祭り) 《平成廿九年十一月十二日 配布資料より》
大同二年(八〇七)牛尾村発足と同時に郷社白幡神社の秋の例大祭として、「五穀豊穣」「天下泰平」を願いスタートする。そもそものスタートは毎年秋の収穫の後十一月十五日を例大祭日として綿々と続いてきた。牛尾地区の七五三のお祝いは、例大祭の蛇祭りが終わらなければ、やらない、やってはいけないという暗黙の了承事項であったが、専業農家も減少の一途を辿り、若者もサラリーマン化し、蛇祭りに専念することも能わず十五日限定も時代の流れにそぐわなくなり、近年は十五日前のいちばん近い日曜日を利用して継続するに至った。例大祭(蛇祭り)は毎年実施されるが、牛尾地区内は四班に分かれているので各班は四年に一度回ってくることになる。上郷地区・遠西地区・中西地区・遠下地区の順に当番が回ってくる。平成廿九年(二〇一七)は上郷地区が当番である。蛇を作るための稲わらは、当番地区で宮田を管理し、収穫してきた。収穫したコメは販売して直会の費用にしてきた。稲わらは蛇を作る材料としてきたが宮田の管理もサラリーマン化し管理も難しくなってきている。そのために現在は専業農家に収穫までを任せている状況である。普段ワラに触れることもないため、縄を絢う生活経験もなく、「蛇」を作ることはさらにも難しい時代になっており、伝統行事も途絶えるのではないだろうかと危倶している。近年は成田空港第3滑走路の建設の話も持ち上がり、牛尾地区の移転の話もあることからさらに伝統行事も将来不安な状況である。