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2019 | 2012 |
桜舞う四月、市内各地の神社では獅子舞の行事が盛んに行われます。大室の八幡神社・稲荷神社、土室の鹿島神社、幡谷の香取神社では、五穀豊穣・無病息災・悪魔払いを願う獅子舞が奉納されます。土室と幡谷地区では、今でも子どもたちや保存会の人々が、万灯や花飾りで飾られた神楽櫃と呼ばれる車を曳きながら神社に向かいます。この獅子舞は、今から約一七〇年前の天保年間(一八三〇〜一八四四)に茨城県から丸一神楽の系統をひく社中によって、大室村(現成田市大室)へもたらされ、その後隣村の土室へ、そして土室の若者たちによって幡谷の地に伝えられたといわれています。神社では、小御門神社(下総町)の宮司による祭礼のあと、獅子舞が奉納されます。この時舞われる獅子舞は、布舞、幣束舞、剣の舞の三部構成となっています。土室の鹿島神社では、二つの地区が獅子舞を奉納します。最初に台地区の布舞、幣束舞、鈴の舞、続いて高崎地区の布舞、幣束舞、剣の舞が行われます。終戦後から昭和三〇年代半ばまでは、神社での祭礼が終わると、神楽櫃を曳きながら村の全戸を回り獅子舞を舞っていたので、二日間にわたり祭りが行われました。娯楽の少ない時代で、「唯一村中のみんなが楽しめる行事でしたよ」と言います。各家々で振る舞われる酒(当時はどぶろく)で腰がたたなくなり、大八車に乗せられて家に帰る人もいたそうです。現在は、区長・神社総代や新築の家など希望者に限られたものとなりました。昭和三〇年代も半ばを過ぎると、農村の生活様式が大きく変わり、若者たちが農業を離れ都会へと流れ、神楽の継承が困難な時代となりました。しかし昭和五〇年代になると、戦後神楽をしていた人々の子どもたちによって保存会が結成され復活しました。舞の所作やお囃子の習得は、すべて長老からの伝承です。「舞手や子どもも減少し、また神楽櫃を曳けなくなった地区もあります。十年後二十年後が心配。祭りは、人と人を結びつけます。響きわたる太鼓や笛の音を次世代へ伝えたい」と話す保存会のみなさん。《広報なりた 平成十五年三月十五日号 〜 成田歴史玉手箱 22 大室・土室・幡谷に伝わる獅子舞》
土室の花見祭
平成三一年四月七日 当日次第
Nikon Df + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8E ED VR + SpeedLight SB-910
成田空港へ着陸する旅客機が長閑な田園風景の上空をかすめ飛ぶ。桜咲き暖かな日和の中、農村の鎮守で二地区の獅子神楽が奉納される。十三時頃、高崎地区の氏子がお囃子を奏でながら神楽櫃を曳き、鎮守の鹿島神社へ向けて出発する。十三時半頃に土室共同利用施設前に二地区が合流し、共に鹿島神社へ向かう。鳥居前で砂切を演奏し、神楽櫃の花飾りを取り外し、土室地区・高崎地区の順序で階段を上って行く。奉納舞は拝殿の中で行われ、舞の大部分が神前の方向を向いて行われる。