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毎年四月二十八日の祭礼の際、九十九谷を一望する白鳥神社前の広場において演じられる。伝承によると、今からおよそ五〇〇年ほど前の永正元年(一五〇四)に聖徳太子の勅願によって創建された神野寺は、野火によって消失しました。しかし、紀州高野山の名僧弘範上人が、真言密教を布教するために霊地鹿野山を訪れたという。その時、上人の徳を慕って木こりたちが移り住んだといわれている。彼らは、遠く離れた故郷の奥高野をしのび、獅子に託して舞ったのが、はしご獅子舞の始まりであると伝えられる。当時、奥高野には牡獅子が住んでいたといわれ、それを慕う牝獅子が断崖を模したはしごの上で恋いこがれ荒狂うさまが、演じられる。はしごのかたわらの榊は、牡丹の花にたとえたものであるといわれ、牝獅子は牡丹の咲く様を見て一層郷愁の思いにかられ、乱舞するものである。さらに、この日は「花嫁まつり」とも言われている。昔から白鳥神社は縁結びの神として知られ、夫婦そろって参拝すると幸せになるといわれている。かつては、白鳥神社の祭と神野寺の夜祭りは、一対をなして行なわれていた。神野寺の夜祭りは、若者たちの出会いの場であった。そして、夜祭で結ばれた二人が、翌年の春の白鳥神社の祭に、結婚式の衣装を着てお礼参りするならわしがあったが、近年はその面影も薄らいできた。今では鹿野山にだけ残るこの珍しい獅子舞は、県の無形民俗文化財に指定されています。
鹿野山花嫁祭り予定表
Nikon Df + Nikon D800
AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED + AF-S NIKKOR 28-300mm F3.5-5.6G ED VR
「鹿野山のはしご獅子舞」は午前十時から曳き廻される「一本柱万度型山車」も見物の一つです。
君津市内では清和市場の祭礼でも「一本柱万度型山車」を見る事が出来ます。