|
2014 | 2013 | 2011 | 2010 | 2005 | 2004 |
平成二十三年(二〇一一)、鴨川市指定有形民俗文化財に指定された、二基の山車は、鴨川にやってくるまでは江戸期の神田祭で使用されていました。しかしながら、明治期になると、電灯の設置や市電の開設などに伴い、これまでのように引き回しが困難になってきたことから、東京の山車は、次々と売り出されました。そうして、日枝神社・山王講の山車が明治四十二年(一九〇九)に、その翌年に、諏訪神社・諏訪講の山車が鴨川の地にやってきました。江戸の神田祭に参加していた山車三十六基のうち、千葉県に現存するのはこの二基のみ。購入から一〇〇年を経て、江戸期当時の構造をそのまま保持する山車と人形が、現在でも鴨川地区の祭礼で引き回されているのはとても責重なものです。山車と人形は、霊岸島より東京湾汽船に船積みし、海路運ばれ、加茂川河岸に陸揚げし、個人の蔵で保管していた。祭礼の度に組み立てを行い、祭礼終了後は解体して収納していた。現在は、解体することなく、格納庫に保管している。
◎諏訪神社「諏訪講の山車と人形(神功皇后・源頼義)」(市指定有形民俗文化財)
山車と神功皇后人形は、神田祭の五番山車と人形の一揃えで、製作年代は不明ですが、江戸時代後半の一八〇〇年以降と推定されています。諏訪神社と諏詰講が江戸時代当初に所有していた神田鍋町から明治四十三年(一九一〇)に購入。また、神田祭三十六番山車の源頼義人形は、大正時代中ごろに神田松田町から同神社・講が購入したものです。現在の祭礼では、この二体の人形を一日ずつ交互に使用し、山車の引き回しを行っています。
◎日枝神社「山王講の山車と人形(恵比須)」附「高欄棚入れ木箱」(市指定有形民俗文化財)
山車は、神田祭の二十五番山車として嘉永四年(一八五一)に製作、また、恵毘須人形は神田祭三十五番山車の人形として文政十二年(一八二九)に製作されたものです。江戸時代当初、山車は神田新石町、人形は神田白壁町が所有していたものを、日枝神社と山王講が明治四十二年(一九〇九)に購入したものです。また、高欄入れ木箱は、山車の製作年を明確に示す資料として貴重なものであることから、同じく文化財に指定されました。
鴨川地区合同祭 諏訪講の山車
「勝浦大漁まつり」を撮影してから、帰路の途中で安房鴨川駅前のスーパーに立ち寄ったら、お囃子の音色が聞こえて来たので、少し歩いて見ると、「諏訪講の山車」が休憩中でした。