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鴨川合同祭は旧鴨川地区の「大浦・八雲、白幡、日枝、熊野、諏訪、横渚・八雲、八幡」の七神社が合同に行うもので、神輿七基、山車三台、屋台四台、担ぎ屋台一台が繰り出される市域最大のお祭りです。木遣り・甚句を唄いながら揉んだり、差し上げたりする地域独特の勇壮な神輿の担ぎ方と、平成四年に鴨川市無形民俗文化財に指定された大浦・八雲神社の「担ぎ屋台」の巡行は外房の荒波を表した荒々しく激しい担ぎ方で見物客の喝采を浴びています。山王講(日枝神社)と諏訪講(諏訪神社)の二台の山車は江戸時代に神田祭の山車として江戸天下祭に参加し、江戸城内に入り徳川将軍の上覧を受けた江戸山車です。諏訪講の山車人形は二体あり、それぞれ神田祭の五番山車「神功皇后」と三十六番山車「源頼義」として天下祭で活躍していました。
◎大浦の担ぎ屋台(市指定無形民俗文化財)
文安期(一四四四〜一四四八)、当地の漁師たちは紀州からの漁法「まかせ網」を導入し、次第に繁栄しながら漁業を営んでいましたが、荒れ狂う大洋での操業は過酷なもので、まさに命懸けでした。そこで、大漁満足、海上安全、さらには自らの無病息災と家族の安泰を祈り、その海のようすを表現しようと祭礼において創作されたのが「担ぎ屋台」です。天保四年(一八三三)に漁業の守り神、厳島神社(弁財天)の祭礼の際、初めて披露され、現在に至っています。「担ぎ屋台」は見事に波間に浮かぶ小舟を表しています。屋台は舟、担ぎ手は海そのもの、三本の棒は波であり、笛や太鼓は漁師の喜怒哀楽を表します。「担ぎ屋台」の巡行は非常に不安定で、激しく揺すって担いだりするため、傾いたり、我慢できずに地面に落とされることもあります。屋台には太鼓一人、小太鼓二人、笛吹き一人(現在、笛吹きは下に降りて吹いています)が乗り、にぎやかな囃子を演奏していますが、たとえ、屋台が傾いたり、落とされても演奏を止めることがないよう指導され、みな太鼓にしがみついたりしながら、夢中になって演奏し続けます。大漁を祈り巡行する担ぎ屋台は全国的にも珍しく、最終日、大浦・八雲神社の坂道を木遣りを唄いながら、ゆっくりと登っていき屋台を納め、お祭りは結ばれます。《かもがわポータルマガジン
KamoZine:かもナビ実行委員会》
鴨川地区合同祭 大浦の担ぎ屋台
平成二十五年五月四〜五日に行われた、「嚴嶋神社辨財天 癸巳歳本開帳 六十年目大祭」で新しい屋台に交代した。
次に屋台が交代されるのは、三〇年後の「中開帳」である。