|
2013 | 2010 | 2008 | 2006 | 2005 | 2004 |
吾妻神社は日本武尊の身代わりとして、走水に入水した弟橘媛の遺品を祭ったと伝えられ、毎年九月十七日に例祭が行われます。"馬だし"は、氏子の家から選ばれた"オメシ"と呼ばれる神馬の鞍に神霊である幣束をつけ、二人の青年が馬の口を持ち、馬の両脇にしがみついて疾走する神事です。常に御輿はオメシの後を行き、オメシは弟橘媛の遺品漂着地と伝えられている岩瀬海岸に到着すると、背の御幣を下ろしてその地に埋納します。神霊を馬上に移し、渡御する神事は、飾り神輿のできる以前の古態を示す大変貴重な祭りです。用具は四八点あり、民俗資料として県の文化財に指定。歴史的には、日本武尊の身代わりとして、走水の海神の怒りを静めるために入水した弟橘媛の物語があります。遺品が、岩瀬の布引きの浜に打ち上げられ、するとどこからともなく一頭の馬が現れました。その遺品をくわえると吾妻神社に上っていったと伝えられています。
吾妻神社の馬だし祭り
早朝、準備を整えた神馬・オブリは岩瀬会館を午前八時四〇分に出発します。出発に先立って、オブリの青年衆は会館前でオブリを抱え威勢良くモミサシを繰り返します。しばらくして、神馬を先頭に吾妻神社までの長い道程を途中で休む事無く歩き続けます。午前九時四〇分、神社へ到着した神馬が最初に石段を駆け上がります。その次に少し間を置いてから、オブリ衆が駆け上がります。午前十時過ぎにオブリを取り付けた神輿と神馬が吾妻神社から宮出します。十四時三〇分、岩瀬海岸に神馬が到着し式典の一つである、馬だしが行われます。馬だしを撮影しようとカメラマンは真正面に陣取りますが、馬止役・役員・氏子青年に邪魔だと大声で愚痴を言います。祭事は氏子と氏神様の祭りであり、カメラマン達のイベントではありません。馬だしが終了すると、オブリを取り付けた神輿が御浜降りを行います。岩瀬海岸は弟橘媛姫の神話が残る場所で祭神を乗せ吾妻神社から出た神輿が伝説の地へと向かいます。