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2017 |
祭頭祭は、元々は六十六郷の氏子が南北に分れ、左方・右方それぞれが五歳位の新発意を中心に行われます。色鮮やかな祭衣をまとった囃人が手に持った樫の棒を組んではほぐしながら神前へと囃しを奉納します。棒を激しく束ねるように打ち合わせて進む勇壮な様は、その中に力を凝縮させ五穀の豊穣と弥栄を願うまさに春の始めの鹿島立ち神事と言えます。 祭頭祭は時代によってそれぞれの付会がなされており、神仏習合の江戸時代には新発意(出立)から常楽(彼岸)に至る「常楽会」とされ、明治になってからは五穀豊穣を祈る「祈年祭」とされ、昭和初期には当時の富国強兵の流れを受けて「防人の祭」とされました。いずれも「新たな出立」を意味しており、この祭りが日出づる東に位置し「出立・始まり」を司る鹿島の大神への古代信仰「鹿島立ち」を淵源としていることが伺えます。《鹿島神宮》
鹿島神宮祭頭祭 廻り祭頭 清水郷
◎香取神宮の駐車について
佐原での「廻り祭頭」は実に三一年振りで、前回は昭和六一年(一九八六)に行われた。十三時から行われた「廻り祭頭
香取神宮」では、正面の第一駐車場は観光客と撮影目的のカメラマンで既に止める場所は無く、余り知られていない「第三駐車場」を利用した。四月の「御田植祭と神幸祭」の時も正面駐車場ではなく、この「第三駐車場」を利用した方がほぼ確実に駐車できます。それでも満車の場合は「第二駐車場」を利用するしかない。