|
2016 |
浄土宗の西福寺では檀家たちによって男組と女組からなる念仏講が作られている。坂戸の念仏は主にこの女組によって伝承されている。その由来は、良栄上人が応安年間(一三六八〜一三七〇)に西福寺を開基した際、鹿嶋明神に参籠し三十七日を断食した満願の夜、「冠をいただき、白装束を着し、鐘鼓を鳴らして踊念仏すべし」という夢のお告げを受けたことによると伝えられている。十二月を除く毎月九日の月並念仏(一月は十八日)のほか、十八日の観音講(一月は二〇日)、二十二日の大師講、そして一月十六日のおえんま様(鉦おこし)、二月十五日の涅槃講、春秋の彼岸会、四月十五日開山忌の一万遍、八月十四〜十六日のお盆、十一月十四、十五日のお十夜などにそれぞれ行われます。これらの日には坂戸地区の年配の女性たちが西福寺に集まり、阿弥陀来迎図・阿弥陀三尊図の掛け軸の前で念仏を唱える。特に三十三年に一回のお十夜は「大十夜」と称し、檀徒・檀家総代なども加わって万灯を先頭に約二〇〇人の人達がお練り(行列)を行い、その後、念仏塚の周りで念仏踊を踊る。このときには「朝顔」「しもつけ」の二曲を踊る。和讃(やさしい和語で仏をたたえる歌)は対象によって曲目が異なり、数が非常に多くある。仏事のある家に呼ばれた場合などには、場に応じて「まくら念仏」「あなばた念仏」「石建念仏」「いざよ念仏」などを唱える。坂戸の念仏では、言葉も純粋の念仏和讃と異なり、風流踊歌などの要素が入り独特のものとなっている。
坂戸の念仏 大十夜
平成廿八年十一月三日 奉納次第
念仏塚は「DIC川村記念美術館」入口の杉林の中にあり、中央にある塚は三段の盛土となっており「祭壇」として利用する。左右にも塚はあるが、取材陣の撮影用の場所となっており、アマチュアカメラマンは登る事は出来ない。一方の塚には取材陣はいなく、餅投げの餅が置かれていた。本番開始前の前週・前々週土曜日には本番と同じ衣装で練習舞を行っており、撮影するなら人が少ない練習舞の方が良い。本番の大十夜では、多数の取材陣とアマチュアカメラマン・見学者で溢れ、念仏塚での撮影は身動きが一切取れず、後方から脚立を使って撮影するのがやっとである。念仏踊「しもつけ」は祭壇側を向いて行うので、撮影は難しい。
※大十夜関係者の駐車は「DIC川村記念美術館 第三駐車場」を利用する。