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2015 |
武雷神社は、正徳年間(一七一一〜一七一五年)に建立されたとされています。同社に所蔵された鰐口や添付の古文書によれば、同社の創建は古く、秋田藩主 佐竹義教が平癒を祈願し、鳥居の青銅製扁額を奉納したとのことです。その例祭に奉納される獅子舞・囃子の起源も江戸中期の頃と見られ、東金北之幸谷と同流といわれる。演目も「序の舞、御幣の舞、鈴の舞」などの「平獅子」、不定期開催の秋祭り(西野丘秋祭り芸能発表会大会)で、芸獅子の「四つ足、亀釣り、鳥刺し、蜘蛛、和唐内、蟇(ガマ)」と、「猟師・狐・藪医者・助手・おかめ」が登場する無言劇の「岡崎」などの「面神楽」が演じられる。祭神は諸説あり、一説には京都・賀茂別雷神社「賀茂別雷命」の分霊を勧請したと伝えられているが、神社の名前からして、関東で広く神仰を集めている、常陸・鹿島神宮「建御雷神」ではないかとも言われている。境内は一〇六〇坪あります。
西野丘秋祭り芸能発表会大会
◎獅子連演目の紹介
【平神楽】神社へ奉納する獅子舞で、「序の舞・布の舞・御幣の舞・鈴の舞・下手(したて)・大狂い」の構成となります。【亀釣り】ひょっとこが亀に見立てた獅子を釣ろうとします。なぜ獅子が亀なのか‥。最後の獅子の見せ場でわかりますのでお見逃しなく。【鳥指し】徳川の将軍は「鷹狩り」を大変好み、東金方面へもよく来たそうです。鷹は生きた餌しか食べないので、近在の人達は競って小鳥を捕らえ献上したそうです。小鳥を捕らえる様子を可愛らしく表現した一人芝居です。【岡崎】鳥指しっ子も狐は捕れません。そこで猟師の出番となります。狐のワナを仕掛けて待つうち狐が登場。狐に化かされて猟師がワナにかかってしまいます。猟師の治療に藪医者が注射を打ったり、突然オカメが登場したりとお囃子に乗った無言喜劇です。【蜘蛛】大クモと獅子の戦う珍しい獅子舞です。戦い後に逃げるクモが出す糸は何処から出るのかお楽しみに。【和唐内】日本人(和)と中国人(唐)との問に生まれた「和唐内」が、明国再興のために中国へ渡ったところ、千里が原に迷い込みました。そこでは唐人が虎狩りをしておりましたが、和唐内が先に退治してしまいます。怒った唐人と和唐内との戦いとなります。歌舞伎調のセリフ回しや隈取の通り、原作は近松門左衛門の国姓爺合戦です。【蝦蟇】花道から大蝦蟇を追って獅子が登場。薮に隠れた蝦蟇を見失い獅子退場。そこへ気のいい夫婦が草刈にやって来ます。鎌も研ぎ終わり草刈を始めると、草むらから大蝦蟇が飛び出し、逃げようとすると反対側には獅子が迫ってきます。最後に大蝦蟇と獅子の戦いとなります。
◎当日状況
昼下がりの十三時にカラオケ大会が始まり、見学する人が集まり始める。舞台正面のブルーシートを広げた「地べた席」では、地元の人達が持ち寄った手弁当や露店で商品を買って食べながら、舞台の演技を観覧している。演技が始まると「おひねり」を舞台に投げて、白熱の演技に拍手喝采となった。舞台左側には、二階建て「畳敷き桟敷席」があり、祭礼関係者が見守りつつ、酒を飲みかわす宴となっている。この日は風も余りなく、さほど寒くなかったので、日が暮れても帰る人も少なく。最後まで八年振りの「郷土芸能発表会」を見守っていた。
※左右の端から撮ると、スピーカーが入り込むので、音響の配置を工夫して欲しかった。
※西野丘秋祭り芸能発表会大会の折には、神社周辺に臨時駐車場が設けられる。