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2014 |
山倉大神の神楽のはじまりは定かではないが、明治の中期から村をあげて天下太平、万民法楽、五穀豊穣を願って、白川流十二座神楽を奉納し、現在にいたっている。現在演じられている舞の原型を確立させ指導されたのは、菅谷新之助氏である。昭和四十二年に保存会が発足し、後継者に受け継がれている。長い間、四月三日に奉納されていたが、今は四月の第一日曜日に奉納している。神楽、白川流については第六十五代
花山天皇の王子・清仁親王の王子延信王が、神祇伯(大宝令に制定された神祇の祭祀を司り、諸国の官杜を総管した神祇官の長官)に任じられ、明治維新までその後胤が世襲してきた白川家に伝わる神道の流れと考えられる。大正十年三月三〇日発行の香取郡誌によると、大正二年に白川家の末裔白川子爵が参詣し、枯れた龍燈松の側に小株を手植えしたと書かれている。『山田町指定文化財』より。
演目:猿田彦・稚児(幣束)舞・天鈿女之命・手力男之命・八幡・三宝荒神・稚児(扇)舞・恵比寿
火男・田神(稲荷)・保食之命・種播・〆切(須佐男之尊)
山倉の白川流十二座神楽
Nikon D800 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED + SpeedLight SB-910
各地で桜が満開を迎え春たけなわとなった、二〇一四年四月六日に山倉大神で白川流十二座神楽が奉納された。
神楽の途中で消防団の「お仕舞え」が入る。鳥居の所から御囃子を奏で、参道を進み、社殿を一周する。
この日は冬の寒さが戻り、最終演目の須佐之男命で雷鳴が轟き雨が降り出し、最後の餅投げは雨に濡れながら皆が拾っていた。
※駐車場あり、お餅・甘酒のサービスあり