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2013 |
毎年十月第一日曜日(元十一月二三日)、三人の氏子総代が年番制によってこの祭の宿を引受け、その他の氏子中から四人の当番が出て準備をする。この行事は、飯を特別大盛りにして食べるのが眼目で、酒は呑まずすべて精進料理で行われる。午前七時ころ、各家から一人ずつ集り、八時半ころまでには全員勢揃いする。正面床ノ問に天照皇大神と豊受大神の神号軸を掛け、その前に高脚の膳が据えられ、白米を山盛りにして御幣が立てられる。さらにもう一つの膳が出され、一座の者に出される同一の料理が供えられる。一同所定の座につくと宮司が祝詞を奏し、収穫を感謝すると共に、このまつりの次第を報告するのである。各人の膳には飯碗、つゆ碗、つぼ碗、ひら碗が並べられ、つゆ碗はケンチン汁、つぼ碗はあんかけの野菜、ひら碗は野菜の煮つけ、さらにきんぴらごぼう、豆腐のカラ生酢、お新香等が置かれていよいよ本番の食事が始まる。当番の男が給仕して、一膳日はやや少な目に飯を盛り、それを食べ終えると二膳目もやや少な目の盛りで、その間おつゆは二度も三度も替えてくれる。三膳目の盛りが特別大盛りでお碗からの高さが約三〇センチ、真白な飯が円錐形に高々と盛られ、座敷の一座の者の前に揃えられる状態は壮観である。またこれを盛り付ける者は二人一組となり、実に面白く見事な技術で「いいご」と称す。径九〇センチくらいの樋から飯を三角形に切ってお碗に盛るのである。食べる方は先ず三角形の頂上部分に碗の蓋を斜めに当てがい、箸を用いてその部分を割り取り飯碗の蓋に取って食べる。その次は箸で上から一口一口食べて行くが、一人としてこぼしたり倒したりする者はいないという。昔は三膳全部を食べた豪の者が沢山いたというが、今日では大方の人が食べ残す。残りの飯は「お護符」といって家に持ち帰り家族に食べさせるが、これを食べると悪い病気にかからないと伝えられている。この大喰らいで腹をこわした者が、今昔を通して全くいないと言うことも面白い。この種のまつりは、君津市中富においても行われていると言う。《房総の祭事・千葉県神社庁特殊神事編纂委員会・昭和五十九年》
饗祭 −大喰らいまち―
大田和歳時記
◎寺年頭(一月一日)現在は村祭と共に行うが、今は皆で一同に食する事は無くなり、神前へ神饌として御供えするだけになってしまった。
祭典の後、飯は皆で分け合い直会で食する。日光の強飯式とほぼ近い行事が富津でもかつて行われていた。
※膳を撮影したい場合は、祭事の前までに現地へ到着する必要がある。