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2012 |
五穀豊穣を祈願し、氏子の里より奉納された的十三本を、騎射装束を着けた神職が社前の庭上から弓矢で射る神事。
東大社の流鏑馬は毎年十月に行われ、千年以上前の康和年間(九八五〜九九六年)堀川天皇の御代に始まったと伝えられています。昔は神職が馬に乗り、馬上より弓を的に射っていましたが、現在は馬も入手困難ですので、騎射装束を着けた神職が社前の庭上から射て、東庄三十三郷の村々により奉納された的十三本を狙います。昔は隣り合わせの二つの里が草刈りの境界のことで争いが絶えませんでした。幕府の役人の仲介で仲直りができたことから毎年、東大社へ奉納する的を同じ寸法で作ります。行事が終了後、三枚合わせの中板を交換して仲直りを再確認することが、今日まで二百数十年間続いています。的には国家安泰・五穀豊穣と書かれ、放たれた縁起の良い矢を競って取り合いますが、この矢を拾うと白い矢は男の子、赤い矢は女の子が授かるとも言われています。
東大社やぶさめ神事
午後二時に祭典が執り行われ、約三〇分後、拝殿から役員・関係者が出て来て流鏑馬神事が始まります。
的は全部で十三枚あり、各的に矢は十本放ち、計130本射ます。
境内に詰めかけた集落の人々は縁起物である矢を、射手から、放たれた途端に我先にと拾います。
そして最後に、鳥居前で的を解体し、中板を交換して“仲直り”を再確認します。
※平成24年は10月21日の日曜日に開催されました。