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2011 |
社伝によれば人皇四十四代元正天皇の養老二年(七一八)に、八幡浦は大風濤に見舞れ、いつなぎるともなく漁師は困窮した。この時八幡大神の神助を祈願したところその御加護があって忽ち風濤がおさまったという。そこで土地の人々は、京都の岩清水八幡を勧請し、神社を創建し、御神徳に奉謝した。その後源頼朝が安房から北上し、下総の途すがら上総のこの地を経た際、篤く奉賽し、武運長久を祈願したという。この時短刀を奉納したとも伝えられている。更に、中世室町時代に房総に進入し勢威をふるった房総武田氏の一族が、真里谷氏と名乗って、佐貫城に據った際城下の守護神としてこの八幡神社を尊崇し、その証左とし札をのこしている。この棟札は現存し富津市の指定文化財となっているが、この時の当主は武田式部大夫源朝臣信嗣となっている。この時は社殿を再興したことがわかる。続いて真里谷氏に代わってこの地方を勢力下に置き、佐貫城主を称した里見氏も、鶴峰八幡神社を崇拝し、社領三百石を寄進したという。特に里見義弘は大刀一振を奉納し祈願の誠を尽くした。近世江戸時代に入っても、佐貫城主内藤家長は三十石を寄進、次いで松平勝隆及び重治も二十石を寄進した。これは宝永七年(一七一〇)に佐貫に入府した阿部氏も、引き続いて同額を寄進した。明治時代に入ってから、十二年郷社に列せられ、二十七年には社殿が修造された。
鶴峯八幡宮例大祭
上総天羽郡総社の鶴峰八幡宮で行われる例大祭。毎年九月十五日(直前の土日)に行われる。宵宮は十八時から、木遣りを先導に雄雌の獅子が厄払いの巡行を行う。終了は二十二時頃。日曜は十二時半から三基の神輿が御浜出し禊の後、各町内を巡行し十八時頃に宮入し餅まきが行われる。獅子の撮影は思うような空間が無く撮影が難しい。木遣り歌を先導に獅子が区内を巡り、立ち寄り地では子供達にお菓子等の接待を行っている。録音はブームポール(一脚)にマイクを着けて行った方が良い感じだ。