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2011 |
1月から2月にかけて市内各地で行われる農村祭事・オビシャ。利根川沿岸地域や印旛地区はオビシャ行事が盛んに行われる地域で、いろいろな形のオビシャが残っています。中でも新妻地区のそれは、珍しい鯉切りオビシャで今も諏訪神社で奉納されています。伝承によれば、源頼朝が奥州征伐の際に新妻地区に立ち寄り、つくも川(現在の根木名川)で捕れた鯉を献上して、武運長久・戦勝を祈願し大変喜ばれたといわれ、その後、五穀豊穣・区民の幸福を祈願するために行われるようになりました。この神事、数年前までは毎年1月20日に行われていましたが、現在では20日以前の最も近い日曜日となりました。また、諏訪神社の拝殿が再建された昭和55年以前は、当堂(1年間御神体を守ってきた当番)の家で行われていました。神事は、神官によるお祓い・祝詞の奏上、神社総代・区長・当堂・来堂(これから1年間御神体を守る人)らによる玉串の奉納後、いよいよ鯉切りの儀式です。神前に生きた鯉が運び込まれ、出席した人たちによって「鯉の褒め問答」が行われます。「金色に輝く」「鱗がまばゆい、目の下3尺に及ぶ大魚」「淡水魚の王者といわれる大魚」などと鯉を褒め、「このような大魚わたしごとき者には包丁を向けることはできません」「修行を積んだ料理の名人がいると伺っております」などと丁重に譲る口上が一巡すると、この日の主役である鯉切り役を務める子どもの登場です。この大役を務める子は例年、当堂の家から選ばれます。裃を着て包丁と菜ばしを頭上高く振りかざし、円を描くようにして鯉を調理し神様に献納。最後に参加者が「豊年だ!」「万作だ!」と大きな声を連呼しながらアラレを蒔き鯉切りの儀式が終わります。そして、御神体の引継ぎとお神酒や神饌(お供え)を一同で食する直会の儀をもってオビシャ行事が終了します。オビシャは時代とともに次第にその形式が薄れつつありますが、市内にはまだまだ地区独特の行事が人々の努力によって受け継がれています。鯉切りオビシャもこれからも伝え残したい大切な行事の一つです。《広報なりた 2004/12/15号 成田歴史玉手箱43回 〜新妻の鯉切りオビシャ〜》
新妻の鯉切りオビシャ
全国的に寒さ厳しい日和で、昨夜からの雪が北総では積もっていました。
成田市新妻地区に伝わる「鯉切りオビシャ」を撮影して来ました。
鯉を実際に切る事はありませんが、千倉の包丁式に近い形で、切る動作を数回行います。
真正面からの撮影は三名程度の空間がありますが、背景が明るいので難しいかも知れない。
撮影した写真は残念な事にピントが余り合っていなかった…