房総の祭事記 〜千葉の郷土芸能と民俗行事〜 モドル ホーム

猪鹿切り祭'10 〜ししきりまち〜

領守は、領内に群棲する猪、鹿が農作物を害することから、毎年十一月二六日から一〇日間、猪鹿奉行に命じて領民と共に狩猟し、一〇日目に当たる十二月五日、獲物を神前に供えて狩猟祭を行ったのが起原で、「ししきりまち」と称している。それ故に江戸時代にはこの社を「御狩大明神」とも号した。十一月二五日より十二月五日までの一〇日間、累代祠職石井宮司家は物忌し、朝夕神前において大太鼓や鼓をたたいて神勤する。一方宮元区内では「みかり中」と言って竹、藤、樫の木を燃やす事を禁じたり、大きな音を立てないように心掛け、昔は米搗き等もしなかったという。さらに江戸時代の末、この地方に根岸某、曽根某という代官がおり、猪原区に小倉氏を名乗る山奉行がおって、人々を率いて鹿、猪、兎を捕獲して神前に供え、今のまつりの形式を調えたようである。十二月五日は早朝、各氏子が赤飯を奉納する。参集した子供たちにこの赤飯を撤して授ける習わしがあり、子供たちは「手づかみ」でこれを食べる。次に午後に至り、あらかじめ設けられた斎場に粛竹を立て、注連が張られる。中に真薦を敷く。約二坪ほどの広さである。そこで捕えた丸物の獣(現今は兎→鳥)を調理するのである。肉の良い所を、二〇センチ角の杉板を盆として、その上に一ヵ所より五本の枝の出た樫の枝木を切取り、藤の白い皮で巻いた椀に肉を盛り、紅白の菱餅と共に奉る。調理する家は世襲で、溝口(福岡区)、溝口(鎌滝)、清和市場の富両家の四家である。四家の主人は裃に佩刀姿で奉仕し、調理の作法も祖先から伝えられた型を存している。この祭は、諏訪神社における例祭中の重儀で、同職は累代この祭に当たり、物忌を厳修し、朝夕全力を集注して神明に奉仕する事を義務としている。袖ヶ浦町飯富の飽富神社、国勝神社、坂戸神社に、これに類似した「御狩まつり」が伝承されていたが、今は中絶しているので、「ししきりまち」はこの地方にとっては貴重な存在と言える。《「房総の祭事」千葉県神社庁特殊神事編纂委員会 昭和五十九年十二月二十八日 初版発行》

猪鹿切り祭

昔、イノシシやシカが多く、農作物に害を与えることから、一〇日間にわたり村民が総出で狩猟に当たり、獲物を神前に供えて御狩祭を開いたのが起こりです。豊作と鳥獣から作物を守ることを祈願するお祭りです。この肉を食べると“風邪をひかず、丈夫になる”と伝えられています。斎場で切った肉は役員の手により、リレーされ神前へ供えられます。その後、拝殿から「菱形の餅」「みかん」が投げられ、境内に集まった人達が拾います。そして、斎場に置かれた数少ない肉(鶏肉)を早い者勝ちで奪い取ります。

奉納日:毎年十二月五日 15:30-16:30
伝承地:千葉県君津市清和市場266 諏訪神社