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2010 |
古来より民俗芸能は、その土地の氏神様と深いつながりがありまして、神を敬い尊び、民衆の心のよりどころとし、祭礼には山海の珍味を神前に御供えして御祝いをする行事ですが、木更津ばやしもその例に漏れず八剱八幡神社の祭礼に奉納されました。その伝来は、慶長十九年(一六一四)十一月、豊臣方徳川方両軍の大軍が争いました大阪の役に際し、当時木更津の漁民は徳川方の水軍として出陣。抜群の功名をたて徳川方の勝利をもたらした褒賞として江戸通いの港として今の東京・中央区一石橋一帯の河岸を木更津河岸と称し、特権を与えられ木更津船の威勢を示し、その際、種々な文物の交流があり、この木更津ばやしも江戸の神田囃子から更に踊りは浦安方面からサカンダネ(肴店)と呼ばれた海辺の若い衆に伝わったもので、曲ははやし、昇殿、神田丸、鎌倉、仕丁面の五曲、面はキツネ、笑い、怒り、おかめ、ひょっとこの五面で、使用する楽器は大太鼓一、小太鼓二、鉦一。尚、本県に祭りばやしは幾多ありますが、その歴史的背景と伝承が比較的明らかでその優秀性を認められて居りましたが、昭和三十七年春、当町内及び近隣の同好の有志の方々の配慮により、はやしの継承のため保存会を設立。その年千葉県教育委員会に無形文化財に指定の申請書を提出。翌三十八年五月四日付けにて指定の認定書交付され、その後四十三年館山市にて開催のNHKふるさとの歌まつりに出演を皮切りに、大阪万国博、若潮国体等幾多の行事に参加出演し、木更津の名を広め、当市の宣伝に貢献し現在に至りました。後援会設立を期に茲に記念碑を建立し後世に伝えるものであります。《発祥碑》
木更津ばやし
※撮影する人は脚立があった方がよい
※取材当日は天候不順で今にも雨が降りそうでしたので、録音機材は出していません