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2010 | 2009 |
地元では、地名を取って辺田前(へたまえ)の獅子舞と呼ばれて、親しまれています。毎年四月の第三日曜日に地元の八幡神社、隣地区の鳥見神社に舞を奉納しています。この獅子舞の起源は古く御醍醐天皇の南北朝時代、今からおよそ七〇〇年位遡る頃、武者が地方を巡り、下総の国、中根の辺田前地区に居住の地を求め、獅子の作法全般を伝授したと伝えられています。後に、「悪魔退散」、「家内安全」、「五穀豊穣」を祈願する「春きとう」として定着し、毎年春の種まき時期に舞を神前に奉納するようになりました。地元では「オコド」(事始めの意味)とも呼ばれています。昭和の時代になり、舞手不足や、社会状況などで一時期舞の奉納が途絶えていましたが、昭和五十九年に、地元の若者達の熱意と地区の協力で復活され、それ以来今年の舞を披露する三人は七代目にあたります。獅子三頭は、通称おやじ(父)、かか(母)、せな(息子)と呼ばれ、頭には鳥の羽を飾り、髪の毛は地面に届くほどの麻を使用しその年代の古さをしのばせています。獅子頭は、復活後に一部修理と塗り替えが行われたが、当時のままの頭を使用しています。頭をかぶると不思議と獅子になりきれるような気持ちになります。全部の舞は、十の舞からなり、それぞれに意味があります。全部を舞うと約五〇分かかります。練習は、辺田前地区のコミュニティーセンターで行うため、本番当日は、コミュニティーセンターで一回、二箇所の神社(八幡神社と鳥見神社)で一回ずつ、そしてコミュニティーセンターへ戻りもう一回、合計一日で四回の舞を同じメンバーで舞うため、かなり重労働となります。
辺田前の獅子舞
羯鼓舞(三匹獅子舞)は動きが早い、いつもながら撮影はむずかしい。
いつも見慣れている県南(安房地域)の羯鼓舞よりも太鼓が大きかった…。
弓くぐりがあると思ったが、ここの羯鼓舞は無いようだ。
※獅子とお子様との撮影タイム、現地カメラマンの人がお子様に正面を向いて「しらたき〜」と叫んでくださいと頼む。