房総の祭事記 〜千葉の郷土芸能と民俗行事〜 モドル ホーム

おどり花見'09

毎年四月三日、成田の町中では、揃いの着物と肩には手拭いをかけ、花かんざしを髪に挿した女性の踊り歩く姿を見ることができます。門前町を構成する旧成田町の女性たちが、年番(本町→仲之町→上町→幸町→花崎町→田町→東町)で行なう伝統行事です。三宮埴生神社を出発点とし、各町内に祀られている十六ヵ所の神仏を参拝し、それぞれの場所で称え歌を歌い、太鼓と歌詞に合わせて弥勒踊りを踊ります。一日中踊り歩き、すべてが終えるころには日も暮れています。当番でないほかの女性は、自町内の神仏の前でおどり花見の一行を迎え接待します。この踊りは茨城県から伊豆方面に広く分布する弥勒信仰の一つですが、成田の場合は歌詞の最後に「あんば大杉大明神、悪魔祓ってヨイヤサ」とあるように、江戸時代に疱瘡除けの神として流行した茨城県稲敷郡(旧桜川村)の大杉神社信仰が加わった踊りです。約三〇〇年前の元禄年間から伝えられたもので、昭和三九年には千葉県無形民俗文化財に指定されました。毎年二月十八日に各町内で行われる女オビシャでは、七年に一度回ってくるお籠(御神体)を次の町内に引き継ぐ儀式が催されます。一般的には神様を受けた側がおどり花見の当番となりそうですが、ここでは送った側が当番となります。これは一年間大切にお籠を守り終え、その労いに踊って花を見るという意味もあります。ところで、受け渡し式ではお客である町から「お籠を迎えに来た」という意味の歌が歌われ、接待側の町からも「送る」意味の歌が歌われます。そして歓迎の気持ちやお茶や料理を称える歌などを交換、優雅な舞や余興が披露されるなど、古式ゆかしい雅の世界を見ているようです。無事受け渡しが済むと皆さんは、子安観音の旗を先頭にお籠を抱え自町の宿に戻り、立場を逆転し慰労の宴席を設けます。列をなし静々と歩く光景に偶然通りかかった参拝客も「何の行列?」と足を止めます。この二つの伝統ある行事は、親から子へ、子から孫へと口伝えによって継承されてきたもので、成田の春を告げる風物詩となっています。《広報なりた 二〇〇六年三月十五日号》

おどり花見


◎成田の弥勒踊り
皆神々の仰せならば、弥勒踊りおもしろや、
誠やら鹿島船戸へ、弥勒船が続いた、
ともえには伊勢と春日の、中は鹿島の大社、
大社の一の名所はご曼堂(ごまんどう)で御手洗(みたらし)、
みたらしで稚児が踊れば、ごまんどうでおまつり、
おまつりは何とまつるやら、浮世ゆたかと米(よね)をまく、
世の中は孫子(まんご)末代、弥勒御代が続いた、
鎌倉はいつも正月、男が水を汲み候、その水をおろし見たれば
鎌倉海老が九つ、五つをば神へあげ候、四つをば国の土産に、
あんば大杉大明神、悪魔を払って、よいやさァ

「成田の弥勒踊り」は録音された、テープで流れる。桜咲く早春に成田山周辺で早朝から夕暮れまで、女人講の人達が十六ヶ所の神仏へ祈りを奉げる。撮影目的のカメラマンは比較的少なめで成田山への観光客の方が多い。一日中、同行撮影していると足が痛くなる。ほとんど休みなしで巡行を続ける。

奉納日:毎年四月三日 7:00-19:00
伝承地:千葉県成田市 成田山周辺 / 出発点は三宮埴生神社