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徳川将軍の御座船を真似た「神船浪除丸(なみよけまる)」に神霊を招き行う祭で、船には殿様がのり、高張を先頭に胴長太鼓、笛、締太鼓、擦り鉦(かね)による船での囃子につれて、子供達に曳かれて約二五〇米離れた元楫取(かじとり)神社跡の広場まで賑やかに進行します。漁師町である相浜の海上安全と大漁祈願をする祭りです。夜に入って、お船の屋根には女装した若い衆が乗って踊りを舞います。漁村ならではの活気あるお祭りです。相浜には、元禄年間に始まったといわれる”お船祭り”がつたえられています。その昔、相浜の村祭りは一月二十八日の初不動の縁日に行われていましたが、これは、当時感満寺という修験の寺があり、お不動様が信仰されていたためです。引き船祭りは、相浜の明主であった石井家を訪ねた殿様に、村人が舟遊びを見せたのが始まりといわれ、そのお船は将軍の船を図面に写し取って作ったものと言われています。大正時代になって、相浜地区二斗田の氏神と、松崎の氏神が合祀されて相浜神社となりましたが、土地の古老は、今だに感満寺とか不動さまと呼んでいます。時代とともに、引き船祭りの祭日は移り変わり、現在は毎年三月二十八日に実施されます。祭りの主役である殿様役の子供は、化粧をして着飾り、地面の上を歩くことなく、若衆に肩車をされ船に乗り込みます。殿様のお通りになる道筋は、浜から運んだ砂で、きれいに敷き清められています。引き船には車輪がつき山車となっていて、旧氏神であった舵(かじ)取神社の跡地との間を往復する形で、地区内を賑やかにお練りで進みます。お船の進路変更には、デコン(テコ)棒と呼ばれる帆柱等の丸太が使われますが、勢いあまって振り回す乱暴者もいたそうで、これには、少し位のことでは驚かない浜育ちの女性でも、恐くて遠く離れていたそうです。また、祭りを少しでも長く引き延ばそうと、デコン棒を車輪の下に不意に差込み、妨害するものもいて、この急ブレーキのため、船の屋根の上で踊っていて、転げ落ちるものもおおかったそうです。
相浜の曳舟祭
平成三〇年 当日次第
二〇〇五年頃を最後に途絶えていた、村廻りが十三年振りに復活した。
※近年は船頭に殿様を乗せて、元楫取神社跡の広場まで曳廻す事はなくなりました。