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2019 | 2016 |
◎返田神社本殿 諸国一宮の石祠
返田地区宮本に鎮座する返田神社は、鎌倉時代中期の古文書にも「返田悪王子社」とみえる古社で、軻遇突智神と埴山姫神を祭神とし、かつては香取神宮の摂社として村人の崇敬と庇護を受けてきました。本殿は間口七尺の一間社流造。建立の年代は建築様式から十七世紀末から十八世紀中頃と推定されます。当社は古来より香取神宮の造営時期にあわせて建造されており、元禄十三年(一七〇〇)の神宮本殿(重要文化財)造営とともに建てられたと思われます。装飾も多く、江戸時代中期の特徴をよく示す建物として、平成六年三月一日に市指定有形文化財(建造物)に指定されています。鳥居をくぐり参道を進むと、その両側に同じ形をした石祠が整然と並んでいます。他の神社では見られないものですが、これは諸国の一宮を祀った石祠です。石祠の近くに「天神地祇」と正面に刻まれた大きな石標が建ち、石祠が建てられた由緒が背面と側面に刻まれています。それによると文化三年(一八〇六)十月に返田村の黒田三右衛門豊昌が発願人となり、国中一宮六六個に加え伊勢両宮と天神地祇合せて六九社を石祠としたようです。その昔、日本には六六の国があり、それぞれの国で最も格式の高い神社が一宮とされました。伊勢の両宮は別格扱いで、また天神は天の神、地祇は地の神を総称したものです。石祠は三五基ずつ両側に並んでいますので、実際の数は七〇基となります。大きさは七〇センチメートルほどで、それぞれ列の先頭に建つ伊勢内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)の二基だけは、他よりも十センチメートルほど大きいものとなっています。石祠の正面には、国郡名とその国の一宮の名が刻まれています。当然のことながら、下総国の一宮は香取大神宮と刻書されています。判読できないものもありますが、全国的に有名な神社が並んでいますので、訪れた際にはご覧になってはいかがでしょうか。《広報かとり 平成二〇年八月十五号 香取遺産 Vol.28》
◎返田の一万燈祭
かつて、三月最終土曜日の十八〜二一時に「一万燈祭」と呼ばれる「郷土芸能祭」が返田神社にて行われていた。祭礼当日は十八時頃に「海蔵院」から囃子連が「砂切」を奏で、出発し祭礼が始まる。鳥居前で再び「砂切」を奏で社殿前まで進み定位置に付き奉納芸が幕を開ける。奉納芸は演目も多く、お囃子(馬鹿囃子・砂切・道・さんば)、神楽(小牧の舞・剣舞・幣束舞・くるい)、踊り(あんば・大漁節・船頭小唄・吉野・佐原小唄・ラッパ節・大杉アンバ)、余興演目(鬼鍾馗・医者と看護婦・鳥刺し・万才・おかめ)が早春の宵に薄明かりに照らされて、地区住民が集まり宴を開きながら行われる。これらの神楽は江戸時代に信州より伝えられたと言われている。長く途絶えていた神楽が昭和五五年(一九八〇)に復活し、郷土芸能保存会が発足され守られて来たが少子高齢化の影響で、夜間の「一万燈祭」は平成二六年(二〇一四)で幕を閉じる事になった。平成二七年(二〇一五)からは、三月最終日曜日の午前に時間帯と規模を縮小して「一万燈祭」を引き続き奉納している。また、返田では「神楽舞」とは別に「三匹獅子舞」も継承している。
返田神社一万燈祭
平成二八年 当日次第
本来の夜間での奉納に比べると規模は小さくなったものの、余興舞も今も演じてくれる。