|
2015 | 2013 | 2012 |
◎真亀天王様のおんべん囃子と合連唱
須賀大社の祭礼は一見大名行列を思わせるような長い行列を作って、御浜降り(神輿渡御)が行われている。戦前と比較すると変化しているが、山車、囃子連、神子連、神輿、獅子連、子供神輿、花車という順序で、総勢約百人の長い行列を作る。行列は真亀の岡から納屋まで御浜降りし、途中番所(お仮屋)や寺社の前で囃子連のおんべん囃子と神輿もみを行う。神輿の御浜降りがすむと、須賀大社まで行列は戻り、宮入り(神輿還御)をする。この御浜降りから宮入りまでの間、囃子連が中心となって、「テンノウ マツリー ヨーイ ヨーイヤサー」の掛け声をかけながら行列は進んでいく。九十九里平野の祭礼に御浜降りはたくさんあるが、須賀大社のような賑やかな囃子連はなく、静かな神輿渡御がほとんどである。この囃子は近隣にはない珍しい囃子である。《千葉県の民俗芸能
千葉県民俗芸能緊急調査報告書 平成5・6年度 房総のむら編集/千葉県教育委員会》
◎おんべん囃子
おんべん囃子は、浜下りの道すじに作られる番所、三夜様、夷様、稲荷様と宮入りのときに、神輿を据える前に行われる。囃子連の親方の拍子木を合図にカボチャ(囃子連の役員の名称)、アトオセ(囃子連の末尾にいる囃子連の役)、囃子連の若い衆が行う。祭りには、山車、神子連、獅子連と囃子連の四つの連がある。神子連は真亀一区(上)が担当し、獅子連は二区(下)が担当する。囃子連は、真亀一区(上)と二区(下)と三、四、五区(納屋)が三年に一度の輪番で当たる。各連の親方(現在は一五人)は、浴衣の上に黒の縞の羽織を着る。囃子連は、親方一人・カボチャ四人(前二人は軍配を、後二人は幣束を持つ)数十人の若衆とその後にアトオセ二人で構成される。踊り自体は簡単な所作である。
◎合連唱
合連唱はおんべん囃子と並んで楽しく、豪快な踊りである。神輿渡御の途中浜の仮屋前、真亀二区に鎮座する水神社の中庭、神輿宮入り直後の社殿、須賀大社の中庭と四回する。合連唱は囃子連の親方を中心に大きな円陣を作り、親方の前に水と笹を入れた手桶をおく。囃子連は豆絞りの手拭で向鉢巻をし、浴衣の右袖をぬいだ衣装に整える。合連唱は親方の歌と囃子連のかけあいから成り、囃子連は親方の歌に呼応して囃しながら踊る。踊りの所作は簡単で踊り子達は大声で囃しながら右手をあげ、上で一つひねってから右手を下げる。右手が上がる時に右足であげはねながら、どしんどしんと両足で足踏みして豪快に踊る。
真亀天王様祭礼
◎撮影について
梅雨明け間近の蒸し暑い気候の中、真亀の総鎮守・須賀神社から九十九里浜までお浜降りが行われる。
取材側も、水分補給しながら撮影しないと、非常に危険です。
◎駐車について
正月三日の神子舞春祈祷祭とは違い、真夏の蒸し暑い中で行われる祭事で、取材側も熱中症の危険が付きまとう。早朝八時三〇分に須賀神社から御浜降りが行われるが、取材側の駐車は「蛭子神社」後方に止め、ここからひたすら須賀神社まで歩いて行った方がロスが少ない。午前中の「須賀神社」から「龍宮神社」までの区間(約1.75q)に自販機は一ヵ所だけある。最初の番所近くにある、車修理・整備のMオートの自販機で飲料を必ず手に入れておかないと危険である。昼食後、龍宮神社から出発するので、車は「蛭子神社」後方に駐車して置けば問題がない。周辺には自販機やヤマザキ商店があるので飲料を購入しておこう。
◎昼食休憩後の行動
昼食の休憩を終え一同が「龍宮神社」へ集合し神子舞・獅子舞を奉納し、九十九里浜へと向かう。ここから先は交通量が多くなるので、平成二七年は「真亀三・五自治区民会館」を通り過ぎ、ヤマザキ商店のある大通りの十字路を直進し、「中村鍼灸整骨院」の十字路を左折し、「真亀第四公民館(三枝神社:子安様)」で小休憩し村境である突き当りまで直進し右折して九十九里浜へと向かう、交通量の少ない巡幸路となった。一行が九十九里浜へと到着する。海岸には海水浴客が珍しそうに行列を眺め写真を撮っている。波打ち際まで移動し、浜の御仮屋がある「国民宿舎」前の海岸まで移動する。移動の際に神輿は数回に渡り海へ入る。「浜の御仮屋」での奉納の際に「合連唱」が行われる。また神子舞もここでしか舞わない舞いを行う。一通りの奉納舞を終えたら休憩となるので、「蛭子神社」後方に止めた車を「真亀下水神社」へ移動して置く。「真亀下水神社」で待ち伏せても良いし、海岸まで歩いて行き供に行動するのも良い。