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2015 |
その由来は明らかになってはいないが、奉納芝居として、元禄十年(一六九七年)に始まったといわれている。昭和三十六年(一九六一年)に千葉県の無形民俗文化財に指定され、その文化的価値は高く評価されていましたが、その後、高度経済成長などによる時代の変化や、火災による衣服の焼失などにより、昭和四十年(一九六五年)の公演を最後に上演が途絶え、県の文化財指定も昭和五十五年に解除されてしまった。その後、復活を願う地元の人々の声や伝統文化の育成という大栄町の施策を背景に、伊能地区の有志達が集まり、復活の気運が高まり、平成十年(一九九八年)に「伊能歌舞伎保存会」が設立され、平成十一年(一九九九年)に三十四年ぶりに復活を果たす事が出来た。その後も毎年演目を増やしながら定期公演を行い、現在もその活動の幅を広げています。役者・裏方とも伊能地区に住んでいらっしゃる自営業や農家の方々が中心となり、伊能歌舞伎を演じています。平成十四年には、町指定無形民俗文化財の指定も受け、合併後の現在も成田市指定無形民俗文化財として引き続き指定されています。
◎菅原伝授手習鑑増捕 〜松王下屋敷〜
天下をものにするために、菅丞相を筑紫の国に追放した藤原時平は、一族残党にまで追手をかけ、御台所やその子、菅秀才に詮議の子を伸ばそうとしていました。ある日、武部源蔵が営む寺子屋に、菅丞相の一子である菅秀才が匿われている事が時平に知られ、その首を討って差し出せと命が下ってしまいます。それを知った松王丸は「いまこそ管丞相に恩義を返す時である」と、我が子小太郎を身代わりに立てようとして、妻の千代の心を経るため一風を講じます。この「松王下屋敷」は、「寺子屋の場」の前日談といえる作品です。かつての主君である菅丞相への恩義を返すために我が子を犠牲にする松王丸の葛藤と決断を描いた作品となっています。
大須賀大神祭礼
平成二十七年 当番 伊能二区
Nikon Df + Nikon D800 + SpeedLight SB-910
AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED + AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)
舞台前面にある、照明器具が残念である。
※当番順序:一区→二区→四区→三区
※臨時駐車場あり、付近に商店が無いので昼飯は露店商(やきそば・お好み焼き)を利用する