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2015 |
◎藤原・古茂口村歌舞伎の由来
安房地方には、股旅物の芝居などもあったことから、これと区別して村歌舞伎(地芝居)のことを歌舞伎芝居と呼んでいました。歌舞伎芝居は神社の祭りや寺でおこなわれる十夜などに常設や仮設舞台を組むなどして演じられていました。歌舞伎芝居は館山市正木で幕末の天保十一年(一八四〇)に歌舞伎がおこなわれていた記録があり、明治以降には古茂口と藤原の歌舞伎芝居が知られており、岡田地区でも上演されていたと伝えています。南房総市では千倉の忽戸(芝居小屋が現存していて今でも三番叟が演じられている)と平磯、丸山町では小戸と加茂でおこなわれていました。そして、その他に白浜町乙浜にはコンクリートで敷設された花壇のある芝居小屋が残っていますが、これは使用されることなく上演が途絶えてしまったと伝えています。また、鴨川市の長狭街道沿いでも歌舞伎芝居がおこなわれていたと伝えています。藤原・古茂口の歌舞伎芝居は平成十四年に南総文化ホールでおこなわれた「南総里見まつりフォーラム」で四〇年ぶりに復活上演を果たしました。この往時の役者たちが中心となって「藤原・古茂口の歌舞伎芝居」を守り、育て、伝えていくことを目的に「古茂口・藤原村歌舞伎保存会設立準備会」を立ち上げ、平成十五年に「たてやま村歌舞伎保存会」を設立して現在に至っております。《たてやま村歌舞伎保存会》
◎白浪五人男 稲瀬川勢揃いの場
悪事に悪事を重ねた五人組は、身に迫る危険を知り、覚悟を決め、桜咲く稲瀬川の堤に勢揃いし、捕手が取り囲む中、次々に名乗りを上げ、後日の再会を約束して、別れ別れに鎌倉を落ち延びていきます。
たてやま村歌舞伎
Nikon Df + AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)
「菜の花・港まつり」富浦漁港特設会場にて、行われた「たてやま村歌舞伎 白浪五人男−稲瀬川勢揃いの場−」
土曜日は曇天に見舞われ、鮮やかな衣装と役者が映えなかったが、翌日の日曜には好天に恵まれ、復活した村歌舞伎が華を添えた。
出演時間は約二〇分と短かったが、大勢の観客が取り囲み、往年の村芝居を見ていた。