房総の祭事記 〜千葉の郷土芸能と民俗行事〜 モドル ホーム

椎津の種蒔神事'12

古来、八坂神社の祭礼は毎年七月九日から十五日までの一週間に渡り、行われていた(現在は二十二日のみ)。九日に神社を発御した大神輿は、直ちに県道を経て、お濱から海に入り潮を踏みながらの勇壮な渡御が行われた。御船内でも祝詞奏上後、お濱を上がり下田(しただ)を経て駒ヶ崎へ至り、折り返し仲町を経て南町から浜田へと渡御。夕刻になると御仮屋(おかりや)正面の一段と高い処に大神輿を安置。以降毎日御神酒を奉り、家内安全はもとより海上の安全と豊漁、五穀豊穣を祈り、併せて疫病の退散と天災の無き事を願い、十五日の宮入の日まで神幸の祭祀が執り行われた。現在では祭礼は二十二日に行われる。埋め立ての為、海はなくなったので、大神輿は海には入らず、下田(しただ)からほぼ同じ行程を通るが、浜田から富士見坂を昇り、城山、椎津台、椎津新田まで往復する工程が追加された。宮入は同日の十八時頃となっている。種蒔神事は、お假屋前で宮入りの前日(七月十四日)に奉納された。現在では大祭日の翌日七月二十三日の夕方、八坂神社の社殿において奉納されている。嘗ては氏子だけが見学できたが、最近は公開し、多数の見学者が集まる。埋め立てにより海はなくなり、半農半漁だったこの地域も大分生活様式がかわった。しかし年に一度の五穀豊穣を祈る神事は今の世代にも受け継がれている。《椎津七町会連合会》

椎津の種蒔神事


◎各舞の意味 =八坂神社明細帳=
この神事は、農耕の手順を表現した五穀豊穣を祈願する予祝神事である。拝殿を田に見立て、独りの舞人が天狗面・獅子面・翁(おきな)面・嫗(おうな)面の四つのお面を代わる代わるつけ、手には剣・鈴・鎌・鍬を持ち替えながら耕耘・種蒔・虫追い等の所作を笛の調べと太鼓の音と鉦の響きに合わせて、六種の舞を奉納する。

一の舞 ≪剣の舞≫
「道開きの神」とされる佐田比古命(猿田彦の神)の天狗の面と鳥兜を被り、右手に剣、左手に鈴を握り、両腕に力を込めて細かく震わせながら両足屈伸。田畑の四方を鎮め五穀豊穣への祈りを表現。「剣の舞」と伝わる。

二の舞 ≪草薙の舞≫
翁の面をつけ烏帽子を被り、左手で草を束ね、右手に握りしめた鎌を大きく薙ぎながら草を刈る。「草薙の舞」と呼ばれる。

三の舞 ≪耕転の舞≫
二の舞と同じく翁の面をつけ烏帽子を被る。両手で鍬を握り一振り一振り大きく降ろし田畑を耕す。「耕転の舞」と呼ばれる。

四の舞 ≪七・五・三の舞≫
一の舞同様天狗面と烏帽子を被り、左手右手の腹と腹を合わせ拳状に他の指を組み、左右の踵を交互踏みしめながら、地を鎮め成らし整える。「七・五・三の舞」とも呼ばれる。

五の舞 ≪獅子の舞≫
獅子頭を被り田畑四方を這いずり、周りの邪気を祓う。
「獅子の舞」または「虫追いの舞」とも伝わる。

六の舞 ≪種蒔の舞≫
嫗面と烏帽子を被り、保食神(ほけつのかみ)より賜わった稲種(現在では神前に供えられたお米)を四方に播種する。近郊の人々は五穀豊穣の成就と家内安全を祈りこのお米を戴き持ち帰っている。

Nikon D800 + AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED

拝殿内の位置:演者は一人(中央)、囃子は四人(左側)、総代・役員・関係者(右側)
十八時に拝殿にて神主が祝詞が捧げ、関係者が玉串を奉奠し、十五分後に奉納舞が始まる。舞は最初に神前へ奉納し、拝殿入口まで移動し、拝殿前のパイプ椅子に座っている氏子と見物者に舞を奉納します。全ての舞が終了するのは十九時である。最後に天照大神の種蒔きのお米が参拝者に分け与えられます。奉納舞はゆったりとした動作で、進められます。一つの演目が終了すると、右側にいる、総代・役員・関係者が面の交代を手伝います。
※撮影は拝殿柱の右側か左側から撮影した方が良い、正面のパイプ椅子は氏子が座ります。
※駐車は八坂神社境内へ止められます。

奉納日:毎年七月二三日 18:00-祭典 18:15-種蒔神事 19:00-終了
伝承地:千葉県市原市椎津230-1 八坂神社