|
2012 |
文化元年(西暦一八〇四年)時の名主高木伊八郎が大願主となり、長嶋重左衛門、金親清右衛門、高橋市左衛門、それぞれの願主が相議り、広く村内外の賛同を得て、永代神楽講を起し、神楽道具・湯釜等を奉納して、天下泰平・万民安泰・五穀豊穣を祈って、八重垣神社例祭(三月二〇日)に奉納されたのがはじまりである。また、十二神楽とは猿田彦からはじまり須佐之男命まで十二座があり、その他稚児舞が奉納される。明治四十五年より昭和三〇年にいたる四十三年間を、後進の指導育成に菅谷新之助氏があたった。氏は神楽技全般にわたり奥義を極め、これを受けて数多くの人々が協力・支援し、伝承に努力した。戦時中は稚児舞だけが継続し、昭和二十三年から氏子青年団に依頼した。昭和五十一年に伝統を後世に伝えようと保存会が結成され、現在にいたっている。昭和五十四年、有志の寄進により、湯神楽・駒寄・四神旗等が復元され、祭のすべてが昔と同じように行われ、氏子が一丸となって伝統芸能の維持・継続に努めている。
新里の白川流十二神楽
神楽殿が新しく建造されており、以前は鳥居方面を正面としていたが、新しい神楽殿は社殿の方を正面としている。
新築の神楽殿は木材が新ので、撮影すると赤っぽくなってしまう。
※駐車は隣のJAの敷地内に止める事が出来る。