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この人形焼は江戸時代初期(一六〇〇年)の頃より行われていたと伝えられています。大根豊作を祈願する行事でした。当時は両町(上・下町)で二対が作られ施餓鬼会(せがきえ)のあと、日中焼かれました。毎年八月十四日十九時に神野寺の僧が来て五穀豊穣の祈りがあげられます。祈願がすませられると松明の火でワラ人形が焼かれ、人形が倒れた方角に豊作がもたらせれると言われている。昭和五〇年代後半から行われなくなっていたが、一九八六年(昭和六一年)に盆踊り大会の一環として復活し、現在に到っています。
鹿野山の人形焼 点火篇
Nikon D300 + AF-S NIKKOR 16-35mm F4G ED VR
七月最終土曜日に製作された、巨大藁人形を害虫と共に燃やす日がやって来た。点火は御盆の八月十四日午後八時から、僧侶のお経と祭囃子が響く中で点火され、漆黒の闇が赤々と周囲を照らしだした。藁人形には灯油が掛けてあり、火の回りも速く点火から3分余りで倒れてしまった。三脚を使った方が低速でシャッターが切れるが、倒れるまであっという間なので考えている暇が無い。人形の残り火は消防団が周囲を囲み燃え尽きるまで見張っていた。