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2010 | 2009 |
推津のカラダミは、市原の代表的中世城郭椎津城跡の麓、椎津地区で毎年八月十五日に行われている盆行事です。早朝、乞食坊主や乞食役の団子貰いで行事は始まります。夕方、瑞安寺で伝説上の椎津城主・椎津小太郎や水難者などの供養を行い、宵からジャラボコと呼ばれる万灯(山車)が練り歩きます。最後に、生きた人が入った棺を担いだ仮の葬列、カラダミの行列が万灯と逆のコースをたどって瑞安寺に入ります。かつて万灯ほ、瑞安寺の前から出発し、正坊山城跡に至る地蔵坂の入口付近が到着地だったそうです。お盆に万灯を飾ることは他の地区でも行われたようですが、遺骸を伴わない葬儀・カラダミ(空荼毘の訛りか)は、類例の少ない珍しい民俗行事とされています。カラダミの由来には、水難者などの供養に椎津城落城の伝説が重ね合わされているようです。
椎津のカラダミ 当日次第
♪椎津のカラダミ > 万灯行列・坊主の鐘・カラダミ行列 SONY PCM-D50 / 内蔵マイク [2009.08.15] |
◎椎津小太郎(空想)=白幡六郎(実在)
白幡六郎が戦いに負けて白塚で自刃して果てた後も、椎津の領民には生死を知らされませんでした。真里谷に逃げて農民になったとか、つかまって殺されたとの噂が領民達に広まりました。白幡六郎は領民の信望が厚かったため、領民はとりあえず葬式をだそうと考えましたが新しい領主が認めるはずはありません。そこでお祭の偽装をして葬式ごっこをしたのです。それが今に伝わる椎津野から荼毘で、偽装のお祭がじゃらぼこです。なお、地元では白幡六郎を椎津小太郎と美化して民話化しています。また、山新に白幡六郎を祀った白幡神社があり、白幡六郎が埋葬された塚を白塚(今は喪失)といって地名の元になっています。
別荘下(バスターミナル)から、万燈(山車)を七〇〇〜八〇〇m先の八坂神社まで引いて歩く、『そらやっせ おっこらせ じゃらぼこ じゃらぼこ おんじゃんじゃん』、一斗缶でリズムを取りながらゆっくり進みます。山車を引く人の他に町会の婦人会の方たちが練り踊ります。また、こじきや坊主などもいっしょになって踊り歩きます。八坂神社まできたら、婦人会の方たちはお宮が盆踊り会場になっているので、そこで踊り練り歩きは終了します。ひきつづき山車は姉崎小学校まで狭い道を引きます。姉崎小学校まで来たら、バレン(竹を半分に切ったもの)それをばらして見物人がもって帰る。山車をばらした後、カラダミ行列が瑞安寺へ向けて、出発します。青年の一人(青年会の会長)が入った棺を担ぎます。一行は、大声で「チャンが死んじゃった、オッカチャンが死んじゃったよう、わあわあ」と叫びながら進み、瑞安寺の境内にかけ入ると、裏手まで走りこみ、棺を置いてたち去ります。
※行事の最後に椎津青年団から手渡せる線香を椎津小太郎の供養塔に供えると、梨一つを貰えます。