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洲崎踊りは、洲崎神社の例大祭(八月二〇〜二二日)と、二月の初午に奉納されています。悪霊払いの鹿島踊りと世直しを願う弥勒踊りの二種類からなります。地元ではこれを総称して「ミノコオドリ」と呼んでいます。ふたつの踊りは、いずれも海の安全を司る鹿島の神が関係しています。鹿島踊りは、鹿島の神人が一年の豊凶を告げ歩く「事触れ」に由来するもので、悪霊払いを目的としています。弥勒踊りは、世直しを願う念仏踊りの系譜にあたり、弥勒が遠い海の彼方から訪れ、富みや豊作をもたらすという内容になっています。このように弥勒信仰が鹿島信仰の中に習合された形は多く見られますが、洲崎踊りのように両者を明確に区別して踊り分けている例は珍しいといえます。踊り手は、小学生から中学生までの女子ですが、かっては二〇歳前後の成人女性も加わり、見物人からお嫁さんにほしいといわれたこともしばしばあったといわれています。明治の時期には、成人男性が踊っていましたが、女子に変わったいわれは定かではありません。二人の音頭とりの唄と一人が打つ太鼓を中心に回りを輪になってゆったりと踊ります。手に持っているのはオンベと扇で、鹿島踊りの時は扇のみ使います。オンベは、初午のときには青竹にサカキと五色の幣束をつけたものです。例祭時には、木に白い装束と鏡をつけたものをそれぞれ使用します。昭和三六年(一九六一年)六月九日に千葉県の無形民俗文化財に指定されました。
洲崎のミノコオドリ
洲崎(すのさき)神社は、斜度三〇度・百四十八段の石段を上った御手洗山(一一九m)の中腹にあります。祭神は天比理乃当ス(あめのひりのひめのみこと)・天太玉命(あめのふとだまのみこと)・天富命(あめのとみのみこと)を祀っています。敷地四〇七坪の境内には本殿(銅板葺)、幣殿(銅板葺)、拝殿(銅板葺)、社務所(瓦葺)が建ち並びます。神武天皇の御宇、天富命が祖神天太玉命・天比理乃当スを鎮祭なされたのを以って創立起源となります。祭礼には神輿三基が繰り出されます。神輿が神社境内から海岸へ渡御し(約二〇〇b)地域の豊漁を祈願します。
※遠方から見学に訪れた人は[駐車は漁港]にして下さい、境内に駐車すると神輿の進路妨害になります。