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この人形焼は江戸時代初期(一六〇〇年)の頃より行われていたと伝えられています。大根豊作を祈願する行事でした。当時は両町(上・下町)で二対が作られ施餓鬼会(せがきえ)のあと、日中焼かれました。毎年八月十四日十九時に神野寺の僧が来て五穀豊穣の祈りがあげられます。祈願がすませられると松明の火でワラ人形が焼かれ、人形が倒れた方角に豊作がもたらせれると言われている。昭和五〇年代後半から行われなくなっていたが、一九八六年(昭和六一年)に盆踊り大会の一環として復活し、現在に到っています。
2004.08.10 / Nikon D100 / AF-S VR Zoom Nikkor ED 24-120mm F3.5-5.6G(IF)
1999.08.15 / PENTAX 67II / SMC PENTAX67 55mm F4
ワラ人形の材料は、「麦わら・青竹・針金・カボチャ・白布・傘」である。
これだけ巨大なワラ人形を作るのは県内では鹿野山しか残されていない。
本来はもう一体あったが片方が消滅してしまった。
おそらくは“上町が男”・“下町が女”の人形を作っていたのだろう。
この行事は農作物(大根)の出来栄えを占う物とされているが、小櫃川流域に伝わる「鹿島人形」と同じ考えでは無いだろうか…